2018年4月 7日 (土)

2018年3月31日 さくら満開

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京都府八幡市(やわたし)にある淀川河川公園背割堤(せわりてい)地区
昨年訪れた時は、七分咲きといったところでしたが、今年は見事な満開でした。

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ローカルテレビ局の中継車かなあと思っていたら、この日、この時間に「ウエークアップぷらす」の生中継をしていたそうです。

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上空にはドローンが・・・

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展望塔に上る順番待ちの列

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鴨川三条大橋に移動しました。

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南座は改装中です

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高瀬川

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京都御苑

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これは桃の花です

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2018年3月23日 (金)

須賀神社の懸想文(けそうぶみ)売り

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「懸想文(けそうぶみ)売り」が登場する須賀神社の節分祭
節分の日は、須賀神社でももちろん豆まきが行われます。しかし参拝者のお目当てはそれだけではありません。ここの節分会の見ものは、「懸想文売り」がこの時だけ姿を現すことです。懸想文売りは烏帽子(えぼし)をかぶって水干(すいかん:昔の衣装)を身にまとい、覆面で顔を隠し目元だけを出しているという、なんとも怪しげな格好。彼らは文(ふみ)をつけた梅の枝を右手に持ち、左手には懸想文を持って、境内を歩きます。この文は縁談や商売繁盛の願いを叶えてくれるお守りで、人に知られないように鏡台やタンスの引き出しの中に入れると着物が増え、容姿が美しくなり、良縁にも恵まるという御利益があると言われています。

「懸想文」のはじまり
懸想文とは、公家など限られた人しか文字が書けなかった時代に自分の恋心を代わりに書いてもらっていた文、つまりラブレターの代筆文をいいます。懸想文の風習は平安時代から始まり、江戸時代になると盛んに行われ、いつしかラブレターの代筆業を行う「懸想文売り」が登場したといわれています。懸想文売りがなぜ覆面で顔を隠しているのかというと、実はこの商売をしていたのが、貴族だったからです。町の人々に代筆業のアルバイトをしていることがばれないように顔を隠していたのだとか。
この風習は明治になると一旦廃れてしまいましたが、第二次世界大戦後、夫婦神がまつられている須賀神社で節分祭の2日間だけ、再び懸想文売りが現れるようになりました。この2日間は、懸想文を求め大勢の女性が神社を訪れます。

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すぐ近くの聖護院門跡でも節分会が行われていました。

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この通りには八つ橋の老舗「聖護院八ッ橋」さんと「本家西尾八ッ橋」さんがありますが、「本家西尾八ッ橋」さんでは例年節分にお茶とぜんざいを無料接待しています。

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「ぜんざい」か「きな粉餅」を選べますが、「ぜんざい」をいただきました。ごちそうさまです。

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「本家西尾八ッ橋」のマスコットキャラクター「あんなま忍者八ッ蔵(やつぞう)」君

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2018年2月28日 (水)

八坂神社の節分

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八坂神社では舞妓さんの豆まきがあると聞きつけ、参拝させていただきました。

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警備中のお巡りさんも思わず撮影(^^ゞ

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先斗町の舞妓さん

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弥栄雅楽会の舞い奉納

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花街宮川町

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豪華賞品が並んでいます。

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さて、私は・・・・

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お酢が当たりました。充分嬉しいです。

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2018年2月 9日 (金)

雪の金閣寺

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金閣寺
正式名称を鹿苑寺(ろくおんじ)といい、相国寺の塔頭寺院の一つです。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。
元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。
金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。
(相国寺HPより)

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三条大橋西

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鴨川

2018年2月 4日 (日)

2018年1月20日 城南宮の湯立神楽(じょうなんぐうのゆだてかぐら)

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城南宮
都の守護と国の安泰を願って、平安遷都の際に京都の南に創建されてから1200年。城南宮は、引越・工事・家相の心配を除く「方除(ほうよけ)の大社」と仰がれています。家庭円満や厄除や安全祈願、また車のお祓いに全国からお見えです。また古くより、住まいを清める御砂や方角の災いを除く方除御札を城南宮で授かる習慣があります。そして曲水の宴が行われる神苑は、しだれ梅、椿、桜、藤、躑躅、青もみじ、秋の七草や紅葉に彩られ安らぎの庭になっています。巫女神楽の鈴の音が毎日響く城南宮をお訪ねください。
(城南宮HPより)

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「城南離宮」とは白河天皇の別荘地で、城南宮は「城南離宮」の一部となったためこの扁額(へんがく)があります。

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この地は「鳥羽・伏見の戦い」の場でもありました。

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湯立神楽(ゆだてかぐら/ゆたてかぐら)は、日本の伝統的な神楽の形式のひとつ。

釜で湯を煮えたぎらせ、その湯を用いて神事を執り行い、無病息災や五穀豊穣などを願ったり、その年の吉兆を占う神事の総称である。別名を「湯神楽(ゆかぐら)」とも言う。

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2018年1月12日 (金)

2018年元旦 八坂神社〜粟田(あわた)神社〜日向(ひむかい)大神宮

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皆様、遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。
本年も当ブログをよろしくお願いいたします。

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青蓮院門跡の大くすのき

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正面奥は平安神宮

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粟田神社(あわたじんじゃ)
牛頭天王(ごずてんのう=スサノオノミコト)を祭神とし、古くは感神院新宮(かんじんいんしんぐう)、粟田天王宮と称されていたが、明治になり粟田神社と改称された。 10月15日に行われる神幸祭には剣鉾巡行と神輿渡御が行われ、粟田祭の剣鉾は祇園祭の山鉾の原形といわれているそうです。

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鍛冶神社
粟田口(あわたぐち)の刀工、三条小鍛冶宗近・粟田口藤四郎吉光と、作金者(かなだくみ)の祖である天目一筒神を祀る鍛冶の神様です。

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日向大神宮参道

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この参道は蹴上インクラインの横にあります。

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ここが伊勢神宮を参拝できる「伊勢遥拝所」です。

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硬貨限定?のおさい銭箱

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「日向大神宮」は京都最古の神社の一つで、5世紀末・顕宗天皇の時代に、筑紫の日向の高千穂の峰の神蹟を移したのが興りとされています。日向大神宮の名の由来は遠く宮崎・日向の国から神様を迎えたことにあるようです。

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この神社は規模は小さいですが、伊勢神宮とおなじく、外宮と内宮をもっています。まずは外宮から参拝します。

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内宮です。「若水」とは元旦の早朝汲み上げられたご神水で、正月三が日参拝者に授与されます。

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内宮の横になんと「天の岩戸」があります。

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戸隠(とがくし)神社
祭神はもちろん、天の岩戸をこじ開けた天手力男命(あめのたぢからおのみこと)

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日向大神宮は地下鉄「蹴上」駅に近く、せっかくなので「ねじりまんぽ」も撮影しました。

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「ねじりまんぽ」は南禅寺に抜ける歩行者用トンネルですが、内面の強度を高めるためレンガをねじり、渦をまくような造りになっています。「まんぽ」とは鉱山の坑道などトンネル構造を指す古い言葉で,「まんぷ」「まぶ」とも呼ばれ,「間歩」などの漢字が充てられるそうです。

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2018年1月 6日 (土)

2017年大晦日

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八坂神社「をけら詣り」

2017年12月31日、新年を翌日に控えた京都の神社や街角を巡ってみました。

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京都名物のひとつ、ラーメン店「第一旭」の早朝行列。午前7時開店で、この時午前7時4分。

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京阪伏見稲荷駅

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ホームに不思議な機械を発見

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なんと外国人向け、外貨両替機。

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流石は五穀豊穰の神様を祀る「伏見稲荷」、しめ飾りに稲をあしらっています。

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先斗町に移動しました。

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先斗町歌舞練場

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久しぶりに見る「キセキレイ」

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酔っ払いの仕業かな

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北野天満宮

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錦市場

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「三木鶏卵」・・・すぐ近くに軒を並べる「田中鶏卵」と並ぶ、だし巻き卵の名店。

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このぶら下がっているのは、京野菜「堀川ごぼう」で、女性の腕ほどある巨大ごぼうです。

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八坂神社

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2017年12月31日 (日)

2017年12月21日終い弘法

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東寺 終い弘法
毎月21日に東寺の境内で開催されている「弘法市」には、骨董屋、古着屋、植木屋などの露店が軒を連ねて賑わっていますが、なかでも12月の市は「終い弘法」と言われ、正月用品などを売る露店も含め1,000軒以上の露店が出店します。

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賀茂川には例年通り、冬の来客「ゆりかもめ」が姿を見せていました。

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セグロセキレイ

2017年12月30日 (土)

八坂庚申堂と安井金毘羅宮

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京都東山、八坂の塔近くに日本三大庚申のひとつで、日本最古の庚申堂である八坂庚申堂(正式名称は大黒山延命院金剛寺)があります。この寺は中国の道教由来である庚申信仰の霊場として古くからまつられてきました。
庚申とは干支の「庚(かのえ)」「申(さる)」の日。中国の道教によると人間の体の中には三尸(さんし)という虫がいて、庚申日の夜に寝ている人間の体を抜け出しては、天帝にその人間の悪行を告げ口し、寿命を縮めると信じられていました。そこで人々は長生きを願い、夜通し起きることで三尸が体から出て行くのを防ぎ、寿命が縮まないよう身を慎んだといいます。これが日本に伝わって習慣となり、「庚申待ち」と呼ばれ、人々は様々な行事をして夜を明かしました。
「見ざる、言わざる、聞かざる」といわれる両手で目、耳、口を隠している三匹の猿の姿も、この庚申信仰とともに日本に伝わってきたといわれています。

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このカラフルなお守りは「くくり猿」といい、境内のあちらこちらに参拝者の願いとともに吊り下げられています。

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八坂の塔

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京都最強の縁切り神社と言われる「安井金比羅宮」は悪縁を切り良縁を結ぶご利益さんで、その歴史は古く、飛鳥時代に藤原鎌足が一族の繁栄を願って創建した「藤寺」が起源とされています。

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安井金比羅宮の境内には、これが悪縁切りと良縁結びの両方のご利益が授かれると言われる霊石「縁切り縁結び碑(いし)」です。

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形代(かたしろ)に願いを書き込んだ後は、その形代を手にして縁切り縁結び碑の「表」に周ります。そして、神様の力が注がれているという中央の穴へ!穴は大人がやっと通れるほどの大きさで、這うようにして穴をくぐり、まずは悪縁を切ります。

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表から穴をくぐった先は「裏」です。悪縁を切った後は、裏の方からもう一度表の方に向かって穴をくぐり、今度は良縁を結びます。

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八坂神社西楼門

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この西楼門には随身(ずいしん・平安時代の貴族の護衛役)の木像2体が置かれています。

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南楼門(八坂神社の正門です)

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2017年12月23日 (土)

千本釈迦堂の大根(だいこ)だき

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二十四節気の一つ「大雪(たいせつ)」の7日、京都市上京区の千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)(大報恩寺)で「大根(だいこ)だき」が始まりましたので、8日にお邪魔しました。悪病を取り除く御利益があり、大勢の参拝客が集まっていました。

 釈迦が悟りを開いた日(12月8日)を祝う「成道会(じょうどうえ)」に合わせ、鎌倉時代の住職、慈禅(じぜん)上人が大根の切り口に梵字(ぼんじ)を書いて炊き、魔よけとして供したことにちなんでいるのだそうです。2日間でなんと大根約4000本(約1万2000食分)が供されます。1杯1000円の大根は厄除けのお布施込みでしょう。

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千本釈迦堂の本堂は、550年前に勃発した応仁の乱で焼けずに残った本堂でも知られ、現存する京都市内最古の仏堂で、国宝に指定されています。
 
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速やかに「大根だき券」を購入

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鎌倉時代に住職が大根に釈迦の名を梵字(ぼんじ)で書き、厄よけとしたのがこの大根だきの始まりと伝えられていますが、この大根は「聖護院大根」と言うのだそうです。千枚漬けに使われる「聖護院かぶら」は知ってましたが、「聖護院大根」があるとは知りませんでした。

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「大根だき」の味付けはおでんと同じですが、きつねうどんに使う、甘辛煮の油揚げが乗っています。美味しかったです。

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2017年12月 2日 (土)

べた踏み坂

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正式には江島大橋(えしまおおはし)、通称「べた踏み坂」は、鳥取県境港市と島根県松江市との間に実在する橋です。

起点 : 鳥取県境港市渡町
終点 : 島根県松江市八束町(やつかちょう)江島
全長 : 1.7 km(うち橋梁部1446.2 m)
幅員 : 11.3 m[2]
勾配 : 島根側6.1 %(3.5°)、鳥取側5.1 %(2.9°)

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JR米子駅

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境線に乗り換えですが、終着駅「境港」は「水木しげる記念館」があり、境線の列車はゲゲゲの鬼太郎バージョンになってます。

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境港駅から松江行きのシャトルバスに乗り、今回の「べた踏み坂」撮影スポットのある大根島(松江市八束町)に移動しました。

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大塚山公園からの「江島大橋」

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見えるでしょうか。中央やや右が「江島大橋」です。肉眼ではこんな感じです。

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ここが撮影スポットです。

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ネットでこのポスターを見て、ぜひこのような写真が撮りたいと、ここに来てみました。
言ってみれば・・・物好き・・ですね。

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大山(だいせん)

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これが数年前、話題となった軽自動車CMの映像です。

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しかし実際に訪れると、さほどの急勾配ではありません。離れた場所からの望遠撮影で、急勾配に見える、映像のトリックですね。

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歩いて橋を渡ってみました。

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鳥取県境港市に入ります。

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境港市のコミュニティバスに乗って境港駅に戻ります。1乗車、大人も子供も100円でした。

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駅のすぐ横で、妖怪達の銅像展が開かれていました。さすがは「水木しげる記念館」の最寄り駅です。

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鬼太郎グッズ店もありました。

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米子市文化ホール
コハクチョウのオブジェ

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米子駅前
1902年(明治35年)11月1日、山陰鉄道開通を記念したモニュメント

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2017年11月 5日 (日)

瓦土塀(かわらどべい)

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土塀(どべい)は、粘土質の土や泥に、石灰とフノリに加え、菜種油、水、藁などの天然素材で作られた伝統的な塀ですが、ここ大徳寺を始め、いくつかの寺に「瓦土塀」と呼ばれる、廃材を利用し、瓦を何層にも積み重ねた土塀があります。
瓦土塀は「瓦積み式土塀 」 の略で、文字通り、瓦が何層にも積み重なっている土塀で、瓦を挟み込む理由は耐久性もさることながら、意匠性(デザイン性)を得る為と思われます。
この塀たちはアートですね。

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大徳寺のほど近く、紫式部の墓所があります。
この「紫式部墓所」には小野篁(おののたかむら)という方のお墓が並んで建っています。小野篁は平安時代の貴族で、紫式部と同じく、歌人としても活躍していました。
お墓が隣接しているというと、夫婦や恋人のように思えますが、紫式部が生まれたのは篁が没してから120年前後が経ってからですので、ふたりに接点や面識はありません。にもかかわらず、紫式部と篁は同じ場所に埋葬されているのです。
これには紫式部の執筆した源氏物語と、篁にまつわる伝説が深く関わっています。
源氏物語は、貴族社会の恋愛を中心とした物語です。
当時、人々の愛欲を書いた紫式部は、ふしだらな絵空事で多くの人々を惑わせたとして、死後は地獄行きになったと信じられていたそうです。
源氏物語を愛読していた人(ファン)たちは。彼女の地獄行きを心苦しく思ったのでしょう。
ファンたちは小野篁のお墓を紫式部の墓のとなりに移動させ、彼女を救って欲しいと祈りを捧げました。
なぜ篁なのかといえば、彼には生前から「あの世とこの世を行き来していた」という伝説があったからで、篁は夜になると冥界に出向き、閻魔大王が行う裁判の補佐をしていた(夜間のアルバイト?)といいます。ファンたちの祈りが通じたことで、篁は閻魔大王と紫式部の間に立ち大王を説得してくれたそうです。その結果、紫式部は地獄から解放されたと信じられています。そんな訳でここに紫式部と小野篁の墓が並んでいるのだそうです。

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「ムラサキシキブ」

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紫式部顕彰碑
紫式部は、藤原為時(ふじわらのためとき)を父として天延(てんえん)元年(973年)頃に生まれた。名は未詳であるが、香子(たかこ)と言った可能性が多い。
祖父も父も歌人、詩人であった関係から彼女も幼時より学芸に親しみ、穎脱<えいだつ=才能がとびぬけてすぐれていること>したその才能は夙(つと)に<=早くから>認められていた。
長保(ちょうほう)元年(999年)藤原宣孝(のぶたか)の妻となり、翌年娘の賢子(かたこ)を産んだが、同三年、不幸にも夫を喪った。
寛弘(かんこう)三年(1006年)頃、内覧(ないらん)左大臣・藤原道長(みちなが)の長女で一條天皇の中宮<ちゅうぐう=皇后に同じ>として時めいていた<=栄える>彰子(あきらこ)に仕え、候名<=中宮にお仕えしたときの呼び名>を父の官名に因(ちな)んで式部と称した。
式部は侍講(じこう)として中宮に漢文学を教授する傍(かたわら)、『源氏物語』の執筆に励み、寛弘(かんこう)六年頃、この浩翰<こうかん=広大>な物語を完成し、世界文学史上に耀かしい紀念塔を建てた。
寛弘七年頃には、日本思想史の上で稀有な虚無的人生観をこめた『紫式部日記』を纏め上げた。晩年には引き続いて中宮(後に上東門院(しょうとうもんいん))の側近に仕え、また『紫式部集』を自撰した。
『源氏物語』は、執筆当時から宮廷社会においてもてはやされ、その女主人公・紫の上に因んで、彼女は紫式部と呼ばれた。
歿年(ぼつねん)については、長元四年(1031年)とみなす説が有力である。『河海抄』その他の古記録は、「式部の墓は、雲林院(うりんいん)の塔頭<たっちゅう=大寺院の別坊>の白豪院(びゃくごういん)の南、すなわち北区紫野西御所田町に存した」と伝えているが、この所伝<=言い伝え>には信憑性が多い。
『源氏物語』は、完成後、九世紀に亘(わた)って国民に親しまれ、また研究された。今世紀に入ってからは、式部の文名は広く海外でも知られ、『源氏物語』は、続々と各国語に翻訳された。
1964年、ユネスコは彼女を「世界の偉人」の一人に選んだ。
なお、紫式部の居宅は堤第(つつみてい)と言い、平安京東郊の中河(なかがわ)に所在した。すなわち廬山寺(ろざんじ)のある上京区北之辺町のあたりである。
また一人娘の賢子(かたこ)は、後冷泉(ごれいぜい)天皇の乳母(めのと)となり、従三位(じゅさんみ)に叙された。十一世紀の勝れた閨秀<けいしゅう=学業にすぐれた女性>歌人の大弐三位(だいにのさんみ)とは、賢子のことである。
平成元年(西紀一九八九年)春
文学博士  角 田 文 衞

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「紫式部墓所」を後にして、少し歩いて西陣に移動しました。

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法華宗真門流総本山「本隆寺」の瓦土塀

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「本隆寺」に隣接する通称「西陣聖天」こと、「雨宝院」。

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「雨宝院」からの「本隆寺」瓦土塀

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この場所で、NHK BSプレミアム「京都人の密かな愉しみ」第一作(2015年1月放映)が撮影されました。ヒロインの常盤貴子さんです。(BS放映映像から)

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(BS放映映像から)

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「岩上神社」

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岩上神社(駒札)
伝えによれば,二条堀川付近にあった霊石が六角通(岩上通六角辺り)に遷(うつ)され、更に中和門院(ちゅうわもんいん)(後陽成(ごようぜい)天皇の女御の一人で後水尾(ごみずのお)天皇の母)の屋敷の池の畔に遷されると怪異な現象が起きたという。吼え出したり、すすり泣いたり、子供に化けたり、の類である。子供に化けたという伝説に因んで「禿童(かむろ)石(いし)」と呼ばれたこともあったという。 持て余した女官たちが遂にたまりかねて蓮乗院(れんじょういん)という真言宗の僧を召したところ、彼はその石を貰い受け、現在地に遷して祀ったと いう。その際に「有乳(うにゅう)山 岩上寺」と称した。以降、授乳、子育て の信仰を集め、地元では「岩上さん」と親しみを込めて呼ばれて いる。 寺は享保(きょうほう)十五年(1730)の大火事「西陣焼け」で堂舎が焼かれ、天明八年(1788)の「天明の大火」では荒廃の極みに達した。
明治維新の際には廃寺となったが、大正年間に織物業の千切屋(ちきりや)が敷地内に祠(ほこら)を構え、以降「岩上神社(岩上(いわがみ)祠(し))」となって今に至る。数奇な運命を経た霊石だけは昔の姿そのままで現在に伝わる。                                                           京都市

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京都駅近くの「東本願寺」飛び地「渉成園」にも瓦土塀があります。

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2017年10月13日 (金)

鴨川と高野川の六つの飛び石

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鴨川(この図では賀茂川と高野川もひっくるめていますが)にいくつかの飛び石がありますが、全部でいくつあるんだろうと、京都府ホームページを確認したところ、この図がありました。私が知っているのは「二条」、「荒神」、「出町」で、行ったことのない飛び石が三つあることになります。すべての飛び石を回ってみることにしました。

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まず訪れたのは最も遠い(自分から見て)、「西賀茂」で西賀茂橋の横にあります。しかし、先ほどの飛び石案内図では、「直径20センチくらいの円柱ブロックが設置されていますが、現在は土砂に埋もれて連続性がありません」とのこと。

でもとにかく行ってみようと訪れたところ、四角い飛び石が新たに設置されていました。

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「飛び石」とは
平成24年7月5日(京都府HP京都土木事務所より)

何のため?なんでこの形?

鴨川や高野川をしばしば散策される方は一度は飛び石を渡ったことがあるのではないでしょうか。
併せてこの飛び石「何のため?」と思ったり、「なぜこの形」と思ったこともありませんか?

この飛び石は、河床の安定を図るという主目的のために設けた横断構造物(これを「帯工(おびこう)」といいます。)の上にいろいろな形に模したコンクリートブロックを配置したもので、水位が低い時には人が渡ることができるという二次的な役割を果たしているのです。

今から約20数年前に「河川環境整備」の一環で親水機能を合わせ持つ仕組みにチャレンジした技術職員の試みが「鴨川を代表する風景」に成長しました。
※親水(しんすい)とは、文字通り、河川などで水に触れたり、接したりして水に親しむこと。

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二つ目の飛び石がある北山大橋の南へ向かいます。距離は2kmあまり。

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これは飛び石ではありませんが、無理すれば渡れるような・・・川に転落しそうな・・・

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「御園橋」・・ここを東に進むと上賀茂神社です。

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雲が低いです。

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上賀茂橋

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この「15km」とは、この先「賀茂川」が「鴨川」になって、桂川と合流する「鴨川」最終地点から遡って「15km」という意味です。

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ハクセキレイ

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北山大橋を通過

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賀茂川二つ目の飛び石「北山」です。府立植物園の西隣に位置し、映画ドラマのロケ地になることもあります。

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NHK BSプレミアム「京都人の密かな愉しみ 冬」篇より

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飛び石にエンブレム?が埋め込んであるのはここだけです。

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北山大橋から高野川の高野橋に移動しました。歩くのはしんどかったので市バスに乗りました。

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ここの飛び石は「亀」でした。

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下鴨神社近くの高名な料亭「下鴨茶寮」

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ご存知「ふたば」

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鴨川三角洲
「鴨川デルタ」とも呼ばれています。高野川(東側)と賀茂川」(西側)の合流点でもあり、休日は学生や家族連れで賑わいます。

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飛び石「荒神」

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この木製の箱は、段差があって遡上できない魚達のために設けられている「魚の通路」なのですが・・・・

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アオサギ君がちゃっかり待ちかまえています。

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飛び石「二条」

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2017年10月 8日 (日)

三匹キャッチ

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魚の群れが遡上してきたので、えいっと銜えたら三匹もキャッチしてしまい、この先どうしようと困惑しているアオサギ君。
〜四条大橋南にて〜

2017年9月23日 (土)

明治村の教会ふたつ(Version 1.1)

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聖ザビエル天主堂
旧所在地 京都市中京区河原町三條
建設年代 明治23年(1890)

この白亜の教会堂は、近世初頭日本に渡来しキリスト教の伝道に努めた聖フランシスコ・ザビエルを記念して、明治23年(1890)かつてザビエルがいたことのある京都の地に献堂されたカトリックの教会堂で、フランス人神父の監督の下に、本国から取寄せた設計原案に基づき、日本人の手で造られたものである。
(明治村HPより)

愛知県犬山市にある博物館「明治村」には、明治期の京都の教会が文化財として二つ移築されています。この「聖ザビエル天主堂」は、三条河原町近くの現在の「カトリック河原町教会」の地に建っていました。

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ステンドグラスが見事です。

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河原町姉小路にある現在の教会「カトリック河原町教会」

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聖ヨハネ教会堂(重要文化財)
旧所在地 京都市下京区河原町通五條
建設年代 明治40年(1907)

明治6年(1873)、鎖国以来二百数十年続いたキリスト教の禁止令が解かれ、各地に教会堂が建てられるようになった。
この聖ヨハネ教会堂は、明治40年(1907)京都の河原町通りに建てられたプロテスタントの一派日本聖公会の京都五條教会で、二階が会堂に、一階は日曜学校や幼稚園に使われていた。中世ヨーロッパのロマネスク様式を基調に、細部にゴシックのデザインを交えた外観で、正面左右に高い尖塔が建てられ、奥に十字形大屋根がかかる会堂が配された教会である。正面の妻と交差廊の両妻には大きな尖塔アーチの窓が開けられ、室内が大変明るい。構造は、一階がレンガ造、二階が木造で造られ、屋根には軽い金属板が葺かれておりこれは日本に多い地震への配慮とも考えられる。また構造自体がそのまま優れたデザインとして外観・内観にあらわれている。

開国後多くの宣教師が来日するが、その中には宣教だけでなく実業面、教育面でも業績を遺した人もいた。この教会堂を設計したアメリカ人ガーディナーもその一人である。ハーバード大学で建築を学んだガーディナーは明治13年(1880)来日、立教学校の校長として教育宣教にあたる一方、建築家としても立教大学校校舎、明治学院ヘボン館、日光真光教会等の作品を遺している。

十字形平面の会堂内部は、化粧の小屋裏をあらわし、柱などの骨組が細目に見えることもあって、実際より広く感じさせる。京都の気候に合わせて使ったと言われる天井の竹の簀も、明るい窓の光を反射させ、より開放感を増している。

建物細部の随所にゴシック風の尖頭アーチが見られるが、特に正面入口がよい例で、レンガ積の角柱から柱頭飾りをはさんでレンガ積のきれいなアーチが立ち上っている。奥の欄間の二つの三葉形アーチの窓や板扉の大形の金具のデザインも中世風のものである。
(博物館明治村HPより)

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現在の教会はこちらです。河原町五条南にある「京都聖ヨハネ教会」。

2017年9月 9日 (土)

モーニング・ムーン

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2017年9月9日未明撮影
西の地平線に沈み行くお月さまなので、「うさぎさん」は逆立ちしています。

2017年8月20日 (日)

2017年8月16日嵐山灯籠流しと鳥居形送り火

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嵐山灯籠流し
昭和24年、戦没者の霊を慰めるため灯籠による供養を始めたことに由来します。
お盆には、ご先祖であるお精霊さま(おしょらいさま)をお迎えして供養のまことをつくし、お盆が終わったら極楽浄土へお送りするための宗教行事です。京都では、お送りの行事として五山の送り火がありますが、この灯籠流しもお送りの行事の一つであり、お精霊さまにこの灯籠に乗っていただき浄土へお送りします。

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五山送り火のひとつ、鳥居形。

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明るいうちに鳥居形送り火の撮影スポットを下見しました。
画面中央の奥が曼荼羅山で、化野念仏寺のすぐ近くです。手前の田んぼにはミニオン案山子が立ってますね。

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嵐電嵐山駅に移動すると、駅コンコースは臨時ビアホールに変身してました。

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2017年8月12日 (土)

琵琶湖博物館

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アマゴ

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琵琶湖博物館は、滋賀県草津市の琵琶湖湖岸烏丸半島にある県立の博物館。湖をテーマにした博物館としては日本で最大規模であり、淡水専門の水族館を含め多彩な展示がある。
琵琶湖の歴史は、およそ400万年前まで遡る。その琵琶湖をテーマに置いていることから、それに特化した展示内容が充実している。水族館施設は、ほかでは珍しい淡水魚を中心とするもので、琵琶湖固有種がすべて見られるほか、国内外の淡水魚も展示されている。プランクトンは生きたものが観察できる。また、琵琶湖と人間の関わりについての展示も充実している。
(Wikipediaより)

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懐かしいものがいっぱいの「私たちの暮らし」コーナー

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この「琵琶湖博物館」は、以前ご紹介した巨大風車のある「水生植物公園みずの森」のすぐ近くにあります。

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2017年7月22日 (土)

祇園祭の「山」と「鉾」

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菊水鉾の榊(さかき)

Kikusui「山(やま)」と「鉾(ほこ)」

「山鉾」とまとめて呼ぶことが多いですが、その形状はかなり異なります。
まず、大型の「鉾」は、車輪がついた胴組の上に囃子方が乗る床と大屋根がかかった屋形を据え、屋根の中央に、20メートル以上の真木(しんぎ)と呼ばれる鉾を立て、真木の頂点に鉾頭をつけます。

「山」は「曳山(ひきやま)」と「舁山(かきやま)」に分けられ、大型の鉾と同じような形態の「北観音山」、「南観音山」、「岩戸山」は「曳山」で、山なので真木でなく「真松(しんまつ)」と呼ばれる松の木を立てます。
「舁山」は胴組の上に舞台を作り、松を立て、そこにさまざまな趣向の人形を飾ります。

Yamaboko003_2  「曳山」のひとつ、「北観音山」は「鉾」と同じような構造ですが、「山」なので「真木(しんぎ)」ではなく「真松(しんまつ)」が立ってます。

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Hakuraku_2「舁山(かきやま)」である、「白楽天山」は舞台と人形を備えています。

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伯牙山(はくがやま)の真松

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宵山の愉しみの一つ、老舗帯問屋「誉田屋源兵衛(こんだやげんべい)」さんの鯉の登り絵です。創業270年を記念して2008年に作成され、毎年創業年数が増えるごとに1匹づつ加筆され、今年は279匹になっているはずです。

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2017年7月 9日 (日)

滋賀県草津市「水生植物公園みずの森」の美しい巨大風車

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ハロ現象と巨大風車(ポールの最上部は60m、羽根の直径は70m)
※ハロ現象・・・太陽や月に薄い雲がかかり、 周囲に光の輪ができる大気光学現象のこと。

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くさつ夢風車
琵琶湖岸の烏丸半島内、草津市立水生植物公園みずの森に設置されている、風力発電施設「くさつ夢風車」は、クリーンな自然エネルギーを活用し、公共施設に電力を供給することを目的として、平成13年から稼働を開始しました。遠くからでもよく見える巨大な風車は、草津市の環境シンボルとして親しまれています。
(草津市ホームページより)

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水生植物公園みずの森(すいせいしょくぶつこうえんみずのもり)は、滋賀県草津市の烏丸半島にある植物園である。1996年(平成8年)に開園した、面積3.7haの小さな植物園。
「植物と人、水と人のふれあい」をテーマにした、琵琶湖の自然に囲まれた植物公園。ハスやスイレンなどの水生植物をはじめ、四季を通じてさまざまな植物と接することができる。琵琶湖畔の日本でも有数な、花蓮の群生地の隣に位置する。
(Wikipediaより)

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