2018年10月26日 (金)

インパクト大!萬福寺の布袋尊

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宇治市にある黄檗宗(おうばくしゅう)大本山の萬福寺(まんぷくじ)の布袋さまです。

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総門

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三門

黄檗山 萬福寺(おおばくさん まんぷくじ)
黄檗宗は、中国・明時代の高僧隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師が1654年に日本に来られ、伝え、広めた禅宗の一派です。臨済宗の流れをくんでいるのですが、四代将軍家綱より許可を得て、宇治に黄檗山萬福寺を開くことにより、正式に黄檗宗が認められたのです。
(萬福寺HPより)

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天王殿

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都七福神
古来より民衆の間で信仰の篤い七福神巡りは全国で70以上ありますが、京都の「都七福神」が最古とされています。

七福神の出身地・国籍は以下の通りです。

恵比寿=日本(神道)の神
大黒天=インド(ヒンドゥー教)の神
毘沙門天=インド(ヒンドゥー教)の神
弁財天=インド(ヒンドゥー教)の神
布袋尊=中国(仏教)の神
福禄寿=中国(道教)の神
寿老神=中国(道教)の神

【ゑびす神】 ゑびす神社
商売繁盛・旅行安全・豊漁等の守護神で庶民救済の神といわれています。 知恵を働かせ体に汗して労働に従事していれば必ずこのゑびす神が福財を授けてくれます。

【大黒天】 松ヶ崎大黒天
打ち出の小槌を持ち笑みを浮かべる姿から福財の神ともいわれ、もともとは軍神でありました。 日本では福徳を重きにみて、商売繁盛の守り神とされています。

【毘沙門天】 東寺
北方の守護神、仏教を守護する神であり、毘沙門天を信仰すると十種の福を得るとされています。 菅原道真や小野道風も信仰していたといわれています。

【弁財天】 六波羅蜜寺
七福神で唯一の女神。 水を神格化したものであり、言語や音楽の神として尊信されています、また、金運・財運の神として福徳自在のご利益とされています。
都七福神事務局/六波羅蜜寺

【福禄寿神】 赤山禅院
南極星の精・泰山府君を人格化した神で、幸福・高禄・長寿の三徳をあたえられたとされ、商売繁盛・延寿・健康・除災を祈願します。

【寿老神】 革堂
中国の老子が天に昇ってなったという仙人の姿。 三千年の長寿を保つ玄鹿を従え、人々の難を払う団扇を持っていることから、福財・子宝・諸病平癒・長寿の功徳ありといわれています。

【布袋尊】 萬福寺
中国・唐の時代に実在した僧契此がルーツとされ、中国では弥勒菩薩の化身として信仰されています。

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大雄宝殿(萬福寺の本堂)

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創師が中国(明)の方なので、萬福寺は随所に中国の様式が見られます。

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ご本尊の釈迦如来

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隠元隆琦(大光普照国師)
禅師は、中国明代末期の臨済宗を代表する費隠通容禅師の法を受け継ぎ、臨済正伝32世となられた高僧で、中国福建省福州府福清県の黄檗山萬福寺(古黄檗)の住持でした。
日本からの度重なる招請に応じて、承応3年(1654)、63歳の時に弟子20人他を伴って来朝。のちに禅師の弟子となる妙心寺住持の龍渓禅師や後水尾法皇そして徳川幕府の崇敬を得て、宇治大和田に約9万坪の寺地を賜り、寛文元年(1661)に禅寺を創建。古黄檗(中国福清県)に模し、黄檗山萬福寺と名付けて晋山されることになりました。

ご開山である隠元禅師が日本に伝えた食べ物としては、皆さんがよく知っているインゲンマメ・筍の木の芽あえ等としてよく食べる孟宗竹・夏によく食べるスイカがあり、寒天の名付けの親でもあります。また、黄檗僧がもたらした中国風の精進料理である普茶料理もご賞味して頂けます。
(萬福寺HPより)

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開梛(かいぱん)
木魚の原型とされ。叩く音で法要や食事の時間をしらせます。
目を閉じることのない魚は不眠不休を象徴し、口からは煩悩珠を吐き出しています。日夜修業に励み清い心を持つようにと僧侶たちを叱咤する姿です。

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京阪電車「黄檗駅」

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鴨川・三条大橋南
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7月6日の大雨により崩れた護岸ですが、応急手当だけで本格的な補修にはいっていません。多分7月の時点で補修しても台風襲来の恐れがあるため、台風シーズンが過ぎるのを待っているのだと思います(私の勝手な推測です(^^ゞ)

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祇園花見小路

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通りすがりの舞妓さん

2018年5月25日 (金)

得淨明院(とくじょうみょういん)の戒壇巡りと一初(いちはつ)

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得浄明院(とくじょうみょういん)は、京都府京都市東山区にある無宗派の単立寺院。無宗派ではあるが、浄土宗鎮西派の特別寺院となっている。信州善光寺大本願の京都別院でもある。
明治27年(1894年)9月、京都市東山の知恩院の西側、かつて知恩院入道親王の住坊であった華頂殿跡の敷地跡に、善光寺大本願の京都別院の尼寺として建立される。
開山は善光寺大本願第117世誓圓尼(伏見宮邦家親王第3王女、幼名真喜宮)。誓圓尼は、関西や西日本の人々が、信州までお参りするのはなかなか大変なことであるため、関西の近くで善光寺如来の仏縁を人々に結ばせたいと発心し、善光寺の別院の建立を思い立った。そこで、京都に住んでいた元天台座主でもある兄の久邇宮朝彦親王に相談した結果、その計らいによって空き地となっていた華頂殿敷地の大部分を、明治15年(1882年)6月、賛同した知恩院管長の大徳、養鸕徹定が誓圓尼に寄進し、善光寺別院の建立の端が発せられた。本尊は善光寺の一光三尊阿弥陀如来の分身を安置している。また善光寺同様に戒檀巡りができるようになっている。
(Wikipediaより)
さて、この「戒檀巡り(かいだんめぐり)」というのが、凄かったんです。
さらっと書かれていますが、この「戒檀巡り」は、真の闇にある秘仏の御本尊様の下を巡って、仏様の分身ともいえるお錠前に触れることによって、仏様と縁を結び極楽往生のお約束をいただき、私たちが本来持っている仏縁の種を大切に育ててゆくことを仏様にお誓いする「行」なのだそうです。
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この中が、本当に真の闇で、自分の手も見えない状況です。こんな感じです。突然視力を失ったかのような恐怖感があり、これははっきり言って「びびり」ました。

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壁の触覚しか頼るものがなく、しばらく進むと壁が無くなります。おおっっと、あ、なんだ、右折するんだと理解し、壁だけが頼りの中、進んでいきます。

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2回目の右折があり、しばらく進むと鍵・・錠前の感触がありました。「あっ、これが錠前か」と嬉しくて何度か触れ、先に進みます。3回目の右折後ようやく出口(入口と同じ場所)に戻って、仄かな光が見えた時、なんと安堵したことでしょう。
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早咲きのツツジ・・・イチハツです。
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得淨明院のある、知恩院参道手前には「親水テラス」と・・・

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一本橋があります。別名「行者橋」、「阿闍梨橋」ともいわれます。天台宗の修行のうちでも随一の荒行とされる千日回峰行を終えた行者が、京都の町に入洛する際、最初に渡る橋とされています。現在の橋は1907年架橋され、長さ約12メートルで、幅は60センチしかありません。

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2018年2月 9日 (金)

雪の金閣寺

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金閣寺
正式名称を鹿苑寺(ろくおんじ)といい、相国寺の塔頭寺院の一つです。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。
元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。
金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。
(相国寺HPより)

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三条大橋西

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鴨川

2017年12月31日 (日)

2017年12月21日終い弘法

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東寺 終い弘法
毎月21日に東寺の境内で開催されている「弘法市」には、骨董屋、古着屋、植木屋などの露店が軒を連ねて賑わっていますが、なかでも12月の市は「終い弘法」と言われ、正月用品などを売る露店も含め1,000軒以上の露店が出店します。

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賀茂川には例年通り、冬の来客「ゆりかもめ」が姿を見せていました。

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セグロセキレイ

2017年6月17日 (土)

因幡薬師の手づくり市

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毎月8日に行われている、烏丸松原にほど近い因幡薬師の「手づくり市」に行ってきました。東寺の「弘法市」や北野天満宮の「天神市」とは比べるべくもないささやかな規模ですが、とても暖かい、雰囲気のある市でした。このパンたちも美味しそうです。

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因幡薬師(平等寺)
『因幡堂縁起(東京国立博物館蔵)などに創建の由来が書かれている。縁起は大納言橘好古(たちばなのよしふる)の孫である少将橘行平(ゆきひら)は、長徳3年(997年)、因幡国司としての任を終えて京に帰ろうとしていたところ、重い病にかかった。ある夜、行平の夢に貴い僧が現れ、「因幡国の賀露津(かろのつ)の浦に貴い浮き木がある。それは仏の国(インド)から衆生を救うために流れついたものである。それを引き上げてみよ」と言う。行平が賀露津の漁師に命じて、波間に光るものを引き上げてみると、それは等身の薬師如来の像であった。この薬師像を祀ったところ、行平の病は癒え、京に帰ることができた。
この薬師像は天竺(インド)の祇園精舎の四十九院の1つ、東北療病院の本尊であった。行平は薬師像をいずれ京に迎えると約束して因幡を後にしたが、その後因幡を訪れる機会がないうちに長い歳月が過ぎた。
その後、長保5年(1003年)4月7日のこと、行平の屋敷の戸を叩く者がある。戸を開けてみると、それは因幡からはるばる虚空を飛んでやってきた薬師像であった。行平は高辻烏丸の屋敷に薬師像を祀った。これが因幡薬師平等寺の起源であるという。
南都における寺院勢力の強勢振りを嫌い、平安京内には、官寺である東寺・西寺以外に寺院を建立することは禁止されていた。ただし、貴族の持仏堂は、建立が認められていた。本寺も、これに相当する。また、六角堂(頂法寺)や革堂(行願寺)のような、町堂(辻堂)の建立も認められていた。因幡堂も、これらと並んで町衆の信仰を集めた町堂の代表格である。
平等寺の寺号は、承安元年(1171年)に高倉天皇によって下賜されたものである。
(Wikipediaより)

このお寺は千年の歴史を持っているんですね。

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手作り市の歴史
因幡薬師は古くから人々の娯楽の発信源となってきました。
境内では狂言や歌舞伎が盛んに行われていた時代もあり、一説には浄瑠璃の発祥の地とも言われています。幕末には市の「見世物小屋」の虎に吼えられた新撰組の芹沢鴨が「シシ(獅子・勤王の志士)より怖い」とおどけたと言う逸話も残っています。
しかしそんな賑やかさも、戦後急速に失われていきました。
数年前、夜間に泥棒が入り当寺の地蔵堂のお地蔵様が一体盗まれる事件がありました。
不幸中の幸いで、盗まれたお地蔵様はコンクリート製の比較的新しいもので、本当のご神体の方は無事でした。しかし地蔵堂は壊されており、修復のため左官屋さんに来ていただくことになりました。
その左官屋さんと住職が、お寺が賑わっていた時代の四方山話をしていた際、
「昔のような自然と人の集まるような賑やかさを取り戻すことができれば、こんな物騒な事は無くなるかもしれないのですが・・」と伝えた住職に対し「では、うちの家内が百万遍の手作り市で店を出しているように、ここでも市を開いてみてはどうですか?家内に聞いてみますよ。」と左官屋さんからご提案いただき、二〇〇一年「因幡薬師手作り市」が開催される運びとなったのです。
(因幡薬師HPより)


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2017年4月29日 (土)

御室桜と八十八ヶ所霊場〜仁和寺

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満開の「御室桜(おむろざくら)」

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4月15日早朝の嵐電四条大宮駅

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駅の案内板では仁和寺は「三分咲」

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仁和寺に到着すると「五分咲き」との案内です

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拝観は午前9時から・・・なんですが、山門は開いており皆さん自由に境内を歩いています。この時、午前7時34分です。

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拝観受付所も開いていないのでそのまま入らせていただきました。

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御室桜は見頃を迎えていました。

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御室八十八ヶ所霊場
文政10年(1827)、当時は本四国(四国八十八ヶ所)への巡拝が困難であった為、時の仁和寺29世門跡済仁法親王の御本願により四国八十八ヶ所霊場のお砂を持ち帰り、仁和寺の裏山に埋め、その上にお堂を建てたのが御室八十八ヶ所霊場の始まりです。約3kmにわたる山道に、お堂(札所)が点在し、それぞれのご本尊・弘法大師をお祀りしております。

参拝道は自然があふれ、小鳥のさえずりや、四季の草花を楽しむことが出来ます。また途中、眼下に広がる京都市内の眺めは素晴らしく、晴れた日には遠く伏見まで望むことができます。通年いつでもご自由に参拝していただけます。約2時間あれば十分参拝出来る手頃なコースとなっていますが、所々足場が悪い所もございますので、くれぐれも無理のない巡拝をお願い致します。
仁和寺では、この御室八十八ヶ所霊場で地域の方や参拝者の方とご縁を結ぶため「八十八ヶ所ウォーク」というイベントを開催しております。
※ウオークイベント開催日以外に、スタンプ帳及びスタンプは用意しておりません。ご了承ください。
【仁和寺ホームページより】

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一番札所

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阿波の国 (徳島県)は 1〜23番  発心の道場
土佐の国 (高知県)は 24〜39番 修行の道場
伊予の国 (愛媛県)は 40〜65番 菩提の道場
讃岐の国 (香川県)は 66〜88番 涅槃の道場

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四十一番札所。唯一六角形をしたお堂でした。

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五十三番札所の円明寺は岩の上に建っていました。

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どこに進めばいいのか・・・

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ここが順路でした。

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八十八番札所

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仁和寺に戻ると御室桜の案内は「見頃」と変わっていました。

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嵐電「桜のトンネル」

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2016年12月 1日 (木)

ライトアップ其の弐〜青蓮院門跡

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青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)
天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡(天台宗の三門跡寺院…青蓮院、三千院、妙法院)の一つとして古くより知られており、皇室と関わり深く格式の高い門跡寺院(門主・住職が皇室によって受け継がれてきたお寺のこと。)です。

Shorenin_2 清水寺や金閣寺ほど知られてはいませんが、建物も庭も品格が高く、お薦めのお寺さんです。

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2016年2月26日 (金)

宝蔵寺〜伊藤若冲ゆかりの寺

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宝蔵寺・寺宝特別公開
期間  平成28年2月5日(金)~8日(月)
江戸中期に活躍した絵師、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)ゆかりの寺院で、若冲筆『竹に雄鶏図』、『髑髏図』、若冲の弟・宗巌(白歳)筆『羅漢図』、「若冲派」と称される若演の作品を含む15点の作品が公開されました。

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Jyakuchu02a_2 『竹に雄鶏図』(宝蔵寺HPより)

Jyakuchu01a_3 『髑髏図』(宝蔵寺HPより)

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宝蔵寺
細密画をはじめ、変遷する特異な画風で近年人気の高い孤高の天才画家伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)は、江戸中期の正徳六年(1716)2月8日京都・高倉錦小路(現在の錦市場)南東角にあった青物問屋「桝屋」=通称「桝源」の主人・三代目伊藤源左衛門の長男として出生しました。
元文3年(1738)若冲二十三歳の頃、父・源左衛門が四十二歳で亡くなったため、四代目源左衛門となりましたが、三十代の頃より画家を志したため、宝暦五年(1755)次弟・宗厳(白歳)に家督を譲り、名を茂右衛門と改名、画業に専念することとしました。
そして、伊藤家の菩提寺が宝蔵寺であったことから、寛延4年(1751)9月29日に父母の墓石を、明和11年(1765)11月11日には末弟・宗寂の墓石をそれぞれ建立しました。父母の墓石には「桝源」初代と二代目伊藤源左衛門家族の戒名も刻まれています。

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伊藤若冲の父母らの墓石修復 京都・宝蔵寺 (京都新聞2016年1月26日記事)
 江戸中期に活躍した奇想の画家伊藤若冲(1716~1800年)ゆかりの宝蔵寺(京都市中京区)でこのほど、劣化が進んでいた伊藤家の墓石の保存修理が完了した。2月7日午後2時に関係者を招いて完成式を営む。
 宝蔵寺は伊藤家の菩提(ぼだい)寺で、境内の墓地に父母や弟白歳の墓など4基があった。いずれも建立から250年ほどたって表面の文字の剝離が進んでいたため、小島英裕住職(48)が若冲生誕300年に向けて一昨年から寄付を募っていた。
 約200人の若冲ファンからの寄付金に府の補助金を加えた約400万円を費やし、洗浄、崩落した破片の接合、剝離を防ぐための樹脂注入などを施した。修復を終え、墓石に刻まれた「伊藤若冲建」や、生家の屋号「ますや」の文字が鮮やかによみがえった。
 修理を機に4基は本堂前に移動され、自由に参拝できるようになった。小島住職は「父母や家族を大切にした若冲の思いを形として残すことができた」と話している。

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という訳で、伊藤家の青果商「桝源」のあった錦市場では「若冲生誕300年」の垂れ幕が掲げられています。

2016年1月30日 (土)

東寺・初弘法

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東寺・縁日弘法さん
元々”縁日”とは神仏がこの世と”縁”を持つ日とされており、この日に参詣すると大きな功得があるということです。東寺では祖師空海入寂の3月21日を期して毎月21日に御影堂で行われる御影供のことを指しています。当初は年に1回行われていたものが、1239年以降は毎月行われるようになったそうです。
一方、人々が盛んに参詣に訪れるようになったので、当時『一服一銭』と言われるごく簡素な屋台で茶を商う商人(茶店の前身のようなもの)が出てくるようになり、江戸時代には茶店だけではなく、植木屋や薬屋なども出てくるようになりました。これが現在の「弘法さん」の起源だと言われています。
現在では多数の露店が立ち並ぶ縁日となっていて、縁日を目的とする人も少なくなくなっています。
境内のすぐ横まで広がる露店は常時およそ1200~1300店ほどで、毎月約20万人ほどの人が訪れています。
その内容も様々で、骨董・古着・がらくたなどが売られていますが、フリーマーケットなどと違う点は「みんな一般の人」ではなく「業者さん」が出店しているところでしょう。ほとんどの方が別の場所でお店を構えていて、弘法さんの日には露店を出している、といった感じです。
弘法さんは毎月21日の朝5時ごろから夕方4時ごろ(日没ごろ)まで終日行われていますが、開店・閉店時間は季節や天候、出店者によって変化します。基本的には雨天決行ですが、たとえば古着屋や骨董など雨に弱い商品の店は開店休業状態だったりもします。
お客さんの層もご年配の方だけではなく、若い方や家族連れ、外国人の方なども多く、歴史ある弘法大師信仰の場と立ち並ぶ露店、店の人とのやりとりや珍しい品々を見ているだけでもとても活気ある楽しい縁日です。
【東寺出店運営委員会ホームページより】

弘法大師・空海の月命日にちなんで毎月21日に東寺で行われる縁日「弘法さん」。1月21日に開かれた年の初めの「初弘法」に出かけました。広い境内は露店で埋め尽くされていました。

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この日は五重塔の初層を特別公開していたので、入ってみました。

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特別公開ですが、写真撮影は禁止されているので、パンフレットスキャン画像を掲示します。実際に初層に入ると非常に薄暗く、こんなにはっきりとは見えません。

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2015年9月19日 (土)

弥勒菩薩(みろくぼさつ)〜広隆寺

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仏像界のスーパースター、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう)。慈愛に満ちた表情を持つこの美しい仏像は、我が国の国宝彫刻の部、第一号です。
※霊宝殿は撮影禁止のため、絵はがきのスキャン画像を掲示しました。

弥勒菩薩(みろくぼさつ)は現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済すると伝えられています。
56億7千万年後という、気の遠くなる年数は、弥勒の兜卒天(とそつてん)での寿命が4000年であり、兜卒天の1日は地上の400年に匹敵するという説から、下生までに4000×400×12×30=56億7600万年かかるという計算に由来しています。

弥勒菩薩の微笑みは「アルカイク・スマイル」であるとされています。またその姿がオーギュスト・ロダンの考える人を想起させることから、「東洋の詩人(フランス語: Poète de l'Est)」との愛称を持っています。ドイツの哲学者カール・ヤスパースがこの像を「人間実存の最高の姿を表したもの」と激賞しました。

※アルカイク・スマイル(アルカイック・スマイル、英: Archaic smile)とは古代ギリシアのアルカイク美術の彫像に見られる生命感と幸福感あふれる表情のこと。

Photo                    クーロス像

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楼門

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境内

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地蔵堂

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本堂にあたる上宮王院(太子殿)

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旧霊宝殿

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霊宝殿

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