2017年6月17日 (土)

因幡薬師の手づくり市

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毎月8日に行われている、烏丸松原にほど近い因幡薬師の「手づくり市」に行ってきました。東寺の「弘法市」や北野天満宮の「天神市」とは比べるべくもないささやかな規模ですが、とても暖かい、雰囲気のある市でした。このパンたちも美味しそうです。

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因幡薬師(平等寺)
『因幡堂縁起(東京国立博物館蔵)などに創建の由来が書かれている。縁起は大納言橘好古(たちばなのよしふる)の孫である少将橘行平(ゆきひら)は、長徳3年(997年)、因幡国司としての任を終えて京に帰ろうとしていたところ、重い病にかかった。ある夜、行平の夢に貴い僧が現れ、「因幡国の賀露津(かろのつ)の浦に貴い浮き木がある。それは仏の国(インド)から衆生を救うために流れついたものである。それを引き上げてみよ」と言う。行平が賀露津の漁師に命じて、波間に光るものを引き上げてみると、それは等身の薬師如来の像であった。この薬師像を祀ったところ、行平の病は癒え、京に帰ることができた。
この薬師像は天竺(インド)の祇園精舎の四十九院の1つ、東北療病院の本尊であった。行平は薬師像をいずれ京に迎えると約束して因幡を後にしたが、その後因幡を訪れる機会がないうちに長い歳月が過ぎた。
その後、長保5年(1003年)4月7日のこと、行平の屋敷の戸を叩く者がある。戸を開けてみると、それは因幡からはるばる虚空を飛んでやってきた薬師像であった。行平は高辻烏丸の屋敷に薬師像を祀った。これが因幡薬師平等寺の起源であるという。
南都における寺院勢力の強勢振りを嫌い、平安京内には、官寺である東寺・西寺以外に寺院を建立することは禁止されていた。ただし、貴族の持仏堂は、建立が認められていた。本寺も、これに相当する。また、六角堂(頂法寺)や革堂(行願寺)のような、町堂(辻堂)の建立も認められていた。因幡堂も、これらと並んで町衆の信仰を集めた町堂の代表格である。
平等寺の寺号は、承安元年(1171年)に高倉天皇によって下賜されたものである。
(Wikipediaより)

このお寺は千年の歴史を持っているんですね。

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手作り市の歴史
因幡薬師は古くから人々の娯楽の発信源となってきました。
境内では狂言や歌舞伎が盛んに行われていた時代もあり、一説には浄瑠璃の発祥の地とも言われています。幕末には市の「見世物小屋」の虎に吼えられた新撰組の芹沢鴨が「シシ(獅子・勤王の志士)より怖い」とおどけたと言う逸話も残っています。
しかしそんな賑やかさも、戦後急速に失われていきました。
数年前、夜間に泥棒が入り当寺の地蔵堂のお地蔵様が一体盗まれる事件がありました。
不幸中の幸いで、盗まれたお地蔵様はコンクリート製の比較的新しいもので、本当のご神体の方は無事でした。しかし地蔵堂は壊されており、修復のため左官屋さんに来ていただくことになりました。
その左官屋さんと住職が、お寺が賑わっていた時代の四方山話をしていた際、
「昔のような自然と人の集まるような賑やかさを取り戻すことができれば、こんな物騒な事は無くなるかもしれないのですが・・」と伝えた住職に対し「では、うちの家内が百万遍の手作り市で店を出しているように、ここでも市を開いてみてはどうですか?家内に聞いてみますよ。」と左官屋さんからご提案いただき、二〇〇一年「因幡薬師手作り市」が開催される運びとなったのです。
(因幡薬師HPより)


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2017年4月29日 (土)

御室桜と八十八ヶ所霊場〜仁和寺

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満開の「御室桜(おむろざくら)」

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4月15日早朝の嵐電四条大宮駅

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駅の案内板では仁和寺は「三分咲」

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仁和寺に到着すると「五分咲き」との案内です

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拝観は午前9時から・・・なんですが、山門は開いており皆さん自由に境内を歩いています。この時、午前7時34分です。

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拝観受付所も開いていないのでそのまま入らせていただきました。

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御室桜は見頃を迎えていました。

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御室八十八ヶ所霊場
文政10年(1827)、当時は本四国(四国八十八ヶ所)への巡拝が困難であった為、時の仁和寺29世門跡済仁法親王の御本願により四国八十八ヶ所霊場のお砂を持ち帰り、仁和寺の裏山に埋め、その上にお堂を建てたのが御室八十八ヶ所霊場の始まりです。約3kmにわたる山道に、お堂(札所)が点在し、それぞれのご本尊・弘法大師をお祀りしております。

参拝道は自然があふれ、小鳥のさえずりや、四季の草花を楽しむことが出来ます。また途中、眼下に広がる京都市内の眺めは素晴らしく、晴れた日には遠く伏見まで望むことができます。通年いつでもご自由に参拝していただけます。約2時間あれば十分参拝出来る手頃なコースとなっていますが、所々足場が悪い所もございますので、くれぐれも無理のない巡拝をお願い致します。
仁和寺では、この御室八十八ヶ所霊場で地域の方や参拝者の方とご縁を結ぶため「八十八ヶ所ウォーク」というイベントを開催しております。
※ウオークイベント開催日以外に、スタンプ帳及びスタンプは用意しておりません。ご了承ください。
【仁和寺ホームページより】

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一番札所

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阿波の国 (徳島県)は 1〜23番  発心の道場
土佐の国 (高知県)は 24〜39番 修行の道場
伊予の国 (愛媛県)は 40〜65番 菩提の道場
讃岐の国 (香川県)は 66〜88番 涅槃の道場

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四十一番札所。唯一六角形をしたお堂でした。

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五十三番札所の円明寺は岩の上に建っていました。

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どこに進めばいいのか・・・

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ここが順路でした。

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八十八番札所

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仁和寺に戻ると御室桜の案内は「見頃」と変わっていました。

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嵐電「桜のトンネル」

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2016年12月 1日 (木)

ライトアップ其の弐〜青蓮院門跡

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青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)
天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡(天台宗の三門跡寺院…青蓮院、三千院、妙法院)の一つとして古くより知られており、皇室と関わり深く格式の高い門跡寺院(門主・住職が皇室によって受け継がれてきたお寺のこと。)です。

Shorenin_2 清水寺や金閣寺ほど知られてはいませんが、建物も庭も品格が高く、お薦めのお寺さんです。

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2016年2月26日 (金)

宝蔵寺〜伊藤若冲ゆかりの寺

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宝蔵寺・寺宝特別公開
期間  平成28年2月5日(金)~8日(月)
江戸中期に活躍した絵師、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)ゆかりの寺院で、若冲筆『竹に雄鶏図』、『髑髏図』、若冲の弟・宗巌(白歳)筆『羅漢図』、「若冲派」と称される若演の作品を含む15点の作品が公開されました。

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Jyakuchu02a_2 『竹に雄鶏図』(宝蔵寺HPより)

Jyakuchu01a_3 『髑髏図』(宝蔵寺HPより)

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宝蔵寺
細密画をはじめ、変遷する特異な画風で近年人気の高い孤高の天才画家伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)は、江戸中期の正徳六年(1716)2月8日京都・高倉錦小路(現在の錦市場)南東角にあった青物問屋「桝屋」=通称「桝源」の主人・三代目伊藤源左衛門の長男として出生しました。
元文3年(1738)若冲二十三歳の頃、父・源左衛門が四十二歳で亡くなったため、四代目源左衛門となりましたが、三十代の頃より画家を志したため、宝暦五年(1755)次弟・宗厳(白歳)に家督を譲り、名を茂右衛門と改名、画業に専念することとしました。
そして、伊藤家の菩提寺が宝蔵寺であったことから、寛延4年(1751)9月29日に父母の墓石を、明和11年(1765)11月11日には末弟・宗寂の墓石をそれぞれ建立しました。父母の墓石には「桝源」初代と二代目伊藤源左衛門家族の戒名も刻まれています。

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伊藤若冲の父母らの墓石修復 京都・宝蔵寺 (京都新聞2016年1月26日記事)
 江戸中期に活躍した奇想の画家伊藤若冲(1716~1800年)ゆかりの宝蔵寺(京都市中京区)でこのほど、劣化が進んでいた伊藤家の墓石の保存修理が完了した。2月7日午後2時に関係者を招いて完成式を営む。
 宝蔵寺は伊藤家の菩提(ぼだい)寺で、境内の墓地に父母や弟白歳の墓など4基があった。いずれも建立から250年ほどたって表面の文字の剝離が進んでいたため、小島英裕住職(48)が若冲生誕300年に向けて一昨年から寄付を募っていた。
 約200人の若冲ファンからの寄付金に府の補助金を加えた約400万円を費やし、洗浄、崩落した破片の接合、剝離を防ぐための樹脂注入などを施した。修復を終え、墓石に刻まれた「伊藤若冲建」や、生家の屋号「ますや」の文字が鮮やかによみがえった。
 修理を機に4基は本堂前に移動され、自由に参拝できるようになった。小島住職は「父母や家族を大切にした若冲の思いを形として残すことができた」と話している。

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という訳で、伊藤家の青果商「桝源」のあった錦市場では「若冲生誕300年」の垂れ幕が掲げられています。

2016年1月30日 (土)

東寺・初弘法

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東寺・縁日弘法さん
元々”縁日”とは神仏がこの世と”縁”を持つ日とされており、この日に参詣すると大きな功得があるということです。東寺では祖師空海入寂の3月21日を期して毎月21日に御影堂で行われる御影供のことを指しています。当初は年に1回行われていたものが、1239年以降は毎月行われるようになったそうです。
一方、人々が盛んに参詣に訪れるようになったので、当時『一服一銭』と言われるごく簡素な屋台で茶を商う商人(茶店の前身のようなもの)が出てくるようになり、江戸時代には茶店だけではなく、植木屋や薬屋なども出てくるようになりました。これが現在の「弘法さん」の起源だと言われています。
現在では多数の露店が立ち並ぶ縁日となっていて、縁日を目的とする人も少なくなくなっています。
境内のすぐ横まで広がる露店は常時およそ1200~1300店ほどで、毎月約20万人ほどの人が訪れています。
その内容も様々で、骨董・古着・がらくたなどが売られていますが、フリーマーケットなどと違う点は「みんな一般の人」ではなく「業者さん」が出店しているところでしょう。ほとんどの方が別の場所でお店を構えていて、弘法さんの日には露店を出している、といった感じです。
弘法さんは毎月21日の朝5時ごろから夕方4時ごろ(日没ごろ)まで終日行われていますが、開店・閉店時間は季節や天候、出店者によって変化します。基本的には雨天決行ですが、たとえば古着屋や骨董など雨に弱い商品の店は開店休業状態だったりもします。
お客さんの層もご年配の方だけではなく、若い方や家族連れ、外国人の方なども多く、歴史ある弘法大師信仰の場と立ち並ぶ露店、店の人とのやりとりや珍しい品々を見ているだけでもとても活気ある楽しい縁日です。
【東寺出店運営委員会ホームページより】

弘法大師・空海の月命日にちなんで毎月21日に東寺で行われる縁日「弘法さん」。1月21日に開かれた年の初めの「初弘法」に出かけました。広い境内は露店で埋め尽くされていました。

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この日は五重塔の初層を特別公開していたので、入ってみました。

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特別公開ですが、写真撮影は禁止されているので、パンフレットスキャン画像を掲示します。実際に初層に入ると非常に薄暗く、こんなにはっきりとは見えません。

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2015年9月19日 (土)

弥勒菩薩(みろくぼさつ)〜広隆寺

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仏像界のスーパースター、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう)。慈愛に満ちた表情を持つこの美しい仏像は、我が国の国宝彫刻の部、第一号です。
※霊宝殿は撮影禁止のため、絵はがきのスキャン画像を掲示しました。

弥勒菩薩(みろくぼさつ)は現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済すると伝えられています。
56億7千万年後という、気の遠くなる年数は、弥勒の兜卒天(とそつてん)での寿命が4000年であり、兜卒天の1日は地上の400年に匹敵するという説から、下生までに4000×400×12×30=56億7600万年かかるという計算に由来しています。

弥勒菩薩の微笑みは「アルカイク・スマイル」であるとされています。またその姿がオーギュスト・ロダンの考える人を想起させることから、「東洋の詩人(フランス語: Poète de l'Est)」との愛称を持っています。ドイツの哲学者カール・ヤスパースがこの像を「人間実存の最高の姿を表したもの」と激賞しました。

※アルカイク・スマイル(アルカイック・スマイル、英: Archaic smile)とは古代ギリシアのアルカイク美術の彫像に見られる生命感と幸福感あふれる表情のこと。

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楼門

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境内

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地蔵堂

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本堂にあたる上宮王院(太子殿)

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旧霊宝殿

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霊宝殿

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2015年9月 4日 (金)

方広寺鐘銘事件〜豊臣家の滅亡

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「国家安康」
「君臣豊楽」

かつて京都には奈良東大寺の大仏(14.7m)を凌ぐ、高さ19mの大仏がありました。

豊臣秀吉が奈良の東大寺にならって大仏建立をこころざし、天正14年(1586)造営を開始したのが方広寺です。文禄4年(1595)、ほぼ大仏殿が完成し高さ6丈3尺(約19メートル)の木製金漆塗座像が安置されますが、翌慶長元年(1596)、畿内を襲った慶長伏見地震のため大仏は大破してしまいました。秀吉は激しく怒り、「己の身も守れぬのか」と倒壊した大仏の額に矢を放ちました。

慶長3年(1598)、秀吉は大仏開眼供養を待たずに死去し、慶長5年(1600年)には関ヶ原の戦いが起こります。豊臣側は敗れましたが、なお65万石の地方大名として生き残ります。豊臣秀頼は秀吉の遺志を継いで大仏復興を命じ、再建が開始されました。家康は大仏再建に協力の意を表しますが、これは豊臣家の財力を奪う策略でした。
当初、秀頼が目指した金銅仏は建造半ば、慶長7年(1602年)失火により焼失しましたが、慶長17年(1612)、秀吉から数えて3体目となる高さ19mの銅造大仏がついに完成しました。しかしここで大坂の陣の直接の原因となった「方広寺鐘銘事件」が起こります。関ヶ原の戦いから12年、満を持した家康の謀略です。鐘に書かれている鐘銘文中に「国家安康」「君臣豊楽」とあったものを、「国家安康(こっかあんこう)」は家康の名を分断し、「君臣豊楽(くんしんほうらく)」は豊臣家の繁栄を願い、徳川家が没落するように呪いが込められていると家康側がいいがかりをつけたのです。
家康は豊臣家からのいっさいの弁明を受け付けず、これを戦の口実とし、豊臣家を滅ぼすべく大阪冬の陣、夏の陣と呼ばれる戦をしかけていきました。。

大仏殿と大仏は、豊臣家滅亡後も破却されずに残りましたが、寛政10年(1798)、落雷によって焼失してしまいます。天保年間に旧大仏の10分の1の木造半身像(首だけの大仏)が寄進されましたが、それも昭和48年に再び火災に遭って焼失してしまいました。現在残っているのは「方広寺鐘銘事件」の梵鐘のみです。しかし「大仏前交番」や「大仏前郵便局」という名称や、大仏殿の正面にあったところから「正面町」という町名や、大仏殿に向かう道を「正面通」と呼ぶなど、大仏殿があった名残りを今に伝えています。

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方広寺本殿

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豊国神社
大仏殿があった場所には、現在豊国神社があります。何気なく立っていますが、この唐門(からもん)は国宝で、伏見城からの移築と考えられています。

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大仏前交番

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大仏前郵便局

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正面通にかかる正面橋

2015年7月11日 (土)

三室戸寺(みむろとじ)のアジサイ園

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アジサイの名所全国第3位に選出された宇治市の三室戸寺です。
朝日新聞のアンケート「日本一のアジサイの名所はどこだと思いますか?」に、読者7030人が回答。
1位 箱根登山鉄道(神奈川県)2945人、2位 明月寺(神奈川県)2532人、3位 三室戸寺(京都府) 2212人、4位 矢田寺(奈良県)1311人、5位 六甲山・摩耶山一帯(兵庫県)1238人、6位 成就院(神奈川県)707人、7位 高幡不動尊金剛寺(東京都)604人、8位 神戸市立森林植物園(兵庫県)568人 、9位 みちのくあじさい園(岩手県)550人、10位 本土寺(千葉県)398人

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花の中心に果托があります。これはハスの花です。

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2015年6月20日 (土)

俵屋宗達の杉戸絵〜養源院

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俵屋宗達 白象図(はくぞうず)・・絵はがきのスキャン画像

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養源院
文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政、祖父浅井久政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建した。元和5年(1619年)火災により焼失したが、元和7年(1621年)淀殿の妹である徳川秀忠の正室・崇源院の願により再興され、以後、徳川氏の菩提所となった。
Wikipediaより

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三十三間堂に隣接したこの寺には、俵屋宗達の杉戸絵と襖絵(重要文化財)があります。ぜひ拝見したいと養源院を訪れましたが、撮影は禁じられていましたので、買い求めた絵はがきのスキャン画象を掲示します。杉戸絵には保護のためガラス戸がはめられていましたので、もし撮影が許されていたとしても、ガラス面の反射で鮮明には撮影出来なかったでしょう。

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唐獅子図

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波と麒麟図

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松図襖絵

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2015年6月 4日 (木)

勧修寺(かじゅうじ)の睡蓮と花菖蒲

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勧修寺
真言宗山階(やましな)派大本山。醍醐天皇の勅願寺。900年(昌泰3)天皇の生母藤原胤子追善のため創建。開基は承俊律師。1470年(文明2)兵火で焼失したが、 徳川氏と皇室の援助で復興。代々法親王が入寺、門跡寺院として格式を誇った。庭園は、氷室(ひむろ)の池を中心とする池泉回遊式。書院前庭には水戸光圀寄進と伝える石灯籠 があり、勧修寺型灯籠として知られる。

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勧修寺型灯籠

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観音堂

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