街並み

2016年5月 7日 (土)

大魔神現る

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京都・太秦(うずまさ)にある、「大映通り商店街」には、大魔神様がいらっしゃいます。

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2010年に公開された山田洋次監督「京都太秦物語」でヒロインの恋人(EXILEのUSA)の実家としてロケ地となったお豆腐屋さんです。ヒロインは同じく大映通り商店街のクリーニング屋の娘という設定でした。
「京都太秦物語」
京都太秦の商店街を舞台に、うだつの上がらない恋人と熱烈に思いを寄せてくれる男性との間で揺れ動く女性の姿を描く人間ドラマ。『おとうと』などの山田洋次と『しあわせ家族計画』の阿部勉が共同で監督を務め、山田監督が生徒を教える立命館大学の学生たちや地元の人たちも一体となり創(つく)り上げた。主演は、松竹110周年を記念するオーディションでグランプリを獲得した海老瀬はな。EXILEのUSAや劇団俳優座の田中壮太郎など、フレッシュで個性的なキャスト陣にも注目。


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大映通り商店街は、日本で第一号の国宝に指定された『弥勒菩薩』が安置されていることで有名な名刹「広隆寺」から帷子ノ辻(かたびらのつじ)に至る延長約700mに軒を並べる映画産業華やかなりし昭和30年代、日本のハリウッドとして隆盛を誇った商店街です。

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現在映画産業は斜陽化したとはいえ、東映、松竹撮影所も現存し映画文化は脈々と受け継がれており、商店街も映画をコンセプトにした街造りを行なっています。

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「東映太秦映画村」兼「東映京都撮影所」

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かつてこの地にあった「大映京都撮影所」の記念碑がいくつか残っています。

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映画「羅生門」国際賞受賞記念碑
太秦の地は、かつて「日本のハリウッド」と呼ばれていた。たくさんの文芸作品、娯楽映画がこの地で生まれ、人々に喜びを与え、心に感動を刻んできた。
昭和25年には、大映京都撮影所が制作した「羅生門」が第12回ベネチア国際映画祭でグランプリを、第24回米アカデミー賞でも外国映画部門特別賞を獲得し、日本映画の素晴らしさを広く世界に知らしめた。
大映京都撮影所では、この栄えある受賞を記念して、金獅子像をモチーフとした記念碑を建立、その周辺は「グランプリ広場」として親しまれていた。しかしその後撮影所は閉鎖され、「グランプリ広場」はなくなり、記念碑なども散逸のやむなきに至っていた。
このたび、京都の映画文化と地元太秦の歴史を後世に伝えたいと地元の熱い願いを桝木頼兼市長に要望し、大映京都撮影所跡地である京都市太秦中学校に「グランプリ広場」を復元した。
この復元にあたっては、京都府及び京都府文化博物館からの多大な協力と、地元をはじめ大映通り商店街振興組合、元大映京都撮影所有志、太秦中学校同窓会、太秦中学校PTA・OB会、太秦中学校PTA等からも支援をいただいた。
平成11年6月 グランプリ広場復元実行委員会

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Kyou_machiko大映京都撮影所で製作された『羅生門』(1950)が1951年のヴェネチア国際映画祭グランプリを受賞し、以降も,吉村公三郎監督の『源氏物語』(1951),衣笠貞之助監督の『地獄門』(1953),そして溝口健二監督の『雨月物語』(1953),『山椒大夫』(1954)と,この撮影所で製作した映画がヴェネチアやカンヌで次々と国際賞を受賞します。京都の映画人たちの技術が世界最高水準であると認められた出来事でした。
※この京マチ子さんは今年92歳で、ご健在だそうです。素晴らしいですね。

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「大魔神」も、同じく大映京都撮影所で制作されました。この像は当時の販促物として作られたそうですが、長い間倉庫に眠っていたこの像を大映通り商店街のシンボルにしようと何年か前に設置されました。

2016年1月17日 (日)

鍾馗さん

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「鍾馗さんの物語」
京都の屋根で見かける鍾馗(しょうき)さんの歴史を紐解くと中国は「唐」の時代に遡り、第六代皇帝「玄宗」が病に臥している時のお話です。
玄宗の夢の中に一匹の小さな鬼が現れ、玄宗の玉笛とを妻「楊貴妃」の匂い袋を盗もうとしました。鬼の手が玄宗にかかろうとした時、髭面の大男が現れ鬼を引き裂いてあっという間に退治してしまったのです。夢の中に現れた髭面の大男は「鍾馗(しょうき)」と名乗り、玄宗に跪いて「科挙(※)の試験に失敗したことを恥じ自ら命を絶ったにもかかわらず、帝に手厚く葬っていただいたことを感謝しております。今日はその恩に報いるため参りました。」と話した。
玄宗が夢から覚めると病はすっかり癒えて元気になっており、鍾馗(しょうき)が鬼を退治し帝の病が癒えたという話は、あっという間に国中に広まり、髭面の鍾馗(しょうき)は道教の神として祭られるようになったということです。
※科挙・・・隋~清の時代まで行われた官僚登用試験のこと

京の街並みには欠かせない小屋根(京町屋の1階と2階の間の小さな屋根)の上の鍾馗(しょうき)さん、魔除け・厄除け・学業成就にと飾られているのですが、それには京都に伝わるこんな謂れがあるからです。
昔、京都の三条に薬屋が新しく店を構えて大きくて立派な鬼瓦を葺きました。するとお向かいの奥さんが原因不明の病に倒れてしまいます。病を治そうと原因を探ると、薬屋の立派な鬼瓦により跳ね返った悪いものが向いの家に入ってしまうからだということがわかりました。そこで鬼より強い鍾馗(しょうき)さんを伏見の瓦屋に作らせ、魔除け・厄除けに据えたところ病が完治したというのです。
それ以降、京都では鬼瓦の対面に鍾馗さんを据えるようになったようです。

そんな謂れの鍾馗(しょうき)さんですが、どうして京都中心に広がったのかというと、向かいの家が鍾馗さんを上げると、 文句は言わず黙って同じように自分の家にも鍾馗さんを上げるという京都人の性格にもあったようです。
ただ、その場合にも、ご近所同士にらみ合いにならないように正面を向いていない鍾馗さんも多く見られます。

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宮川町(京都五花街の一つ)

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発見、金の鍾馗さん。

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2015年12月26日 (土)

膏薬辻子と撞木辻子

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京都の街並みのいたるところに見られる「辻子(ずし)」と「路地(ろうじ)」。家と家の間に通じた細い道のうち、次の通りまで突き抜けているものを辻子(図子)、行き止まりになり、通りの入口に家の数だけ表札が掛けられている所を路地(ろうじ)と呼びます。

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膏薬辻子
膏薬の辻子(こうやくのずし)とは、四条通りから中ほどで折れ曲がり綾小路通までを走るこの細い道の名称である。また、膏薬辻子を挟む地域が、明治二年(1869年)に新釜座町と命名されるまでは、地域の名称としても用いられていた。この地域は、皇后を何代も排出した大納言藤原公任(ふじわらのきんとう)邸宅である四条宮のあった場所である。
そして、この地域において、踊念仏で知られ、後に西光寺(現在の六波羅蜜寺)を創建した空也上人が、天慶元年(938年)、この地に道場を設けて念仏修業を始めた。
天慶三年(940年)に、天慶の乱により戦死した平将門の首が京都の町で晒されて以後、全国で天変地異が相次ぎ、平将門の怨念の仕業とされたため、各地で平将門の霊を鎮めるために首塚が築かれた。京都でも、空也上人が道場の一角に塚(現在の神田神宮)を建てて供養したことから、空也供養の道場と呼ばれた。そして、空也供養の発音が訛り、細い道を意味する辻子と合わせて、膏薬辻子と呼ばれるようになったとされている。
(駒札より)

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京都に神田明神があるとは・・・。

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京料理の名店、「緒方」さん。ミシュラン2つ星店です。

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呉服商「奈良屋」の杉本家邸宅です。国の重要文化財に指定されていますが、公開していないので、中の様子は見ることが出来ません。

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膏薬辻子と四条通りを挟んだの向かい側にある、撞木辻子の南入口です。

撞木辻子(しゅもくのずし、又はしゅもくずし)
撞木とは、お寺などで使う鉦(かね)を叩く用具で、T字形をしているため、T字路だったこの道は撞木辻子と名付けられました。「なんとか横丁」の「横丁」に近い佇まいです。

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ここ「めん房やまもと」さんは昭和55年に創業されたうどん屋さんで、四条烏丸近辺のサラリーマンのランチ御用達のお店です。観光客向けの店ではないので安価で、しかも美味しく、お薦めのお店です。日曜・祝日・第3土曜日はお休み。

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西側、新町通から見た撞木辻子です。本当に細い道ですね。今度は夜の時間帯に通ってみたいと思います。